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福岡地方裁判所 昭和61年(ワ)189号 判決

原告

古家崇則

原告

古家いつよ

右原告両名訴訟代理人弁護士

松本成一

古川卓次

被告

福岡市

右代表者市長

桑原敬一

右訴訟代理人弁護士

稲沢智多夫

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一  原告らの請求の趣旨

「被告は原告らに対しそれぞれ金一七三三万四〇四二円及びこの内金一五八三万四〇四二円に対する昭和六〇年九月一〇日から、内金一五〇万円に対するこの裁判確定の日からいずれも支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言

第二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨の判決

(当事者双方の主張)

第一  原告らの請求の原因

一(事故の発生)(以下「本件事故」という。)

1  原告らの長男古家健作(昭和五〇年一月六日生)は、福岡市立脇山小学校五年一組に在学中の昭和六〇年九月九日、自習時間に同級生から暴行を受け、翌一〇日午前七時、脳内出血及びくも膜下出血により死亡した。

2  死亡に至る経過は、次のとおりである。

ア 脇山小学校五年一組担任教諭有馬悟は、同日第六校時(午後三時〇五分から午後四時まで)を漢字プリント等による自習時間と指定し、所用で学校を離れた。同級生の鶴田貴彦は、午後三時三五分頃、健作と同級生の原和彦が教室内の夏休みの工作品に手を触れていたのを見て、「触るな。」と怒号し、健作らに向かってきた。健作らは、かねてから鶴田が些細なことで暴力を振るうのを知っていたので、驚愕し、廊下に出て、難を避けようとしたが、同人に追いつかれて、タオルで全身を数回にわたり殴打された。更に、教室内に逃げこみ、同人の攻撃に畏怖して座りこんだが、同人から両拳でこめかみ付近を強く圧迫される(俗にグリグリといわれるもの)などの暴行を受けた。

イ このため、健作は、頭部に激痛を感じて苦痛を訴えたため、午後三時五〇分頃、同級生によって保健室へ運ばれた。

同校養護教諭山本加代は、右暴行の経緯を聞き、外傷がないことから、健作をソファに寝かせた。午後四時三〇分頃、健作が嘔吐し、ソファ(床面からの高さ三六センチメートル)から転落し、頭を強く打った。山本養護教諭は、健作の家庭に連絡をとるとともに、同人のシャツを脱がせ、上半身を裸にして、床に寝かせたままにしていた。

ウ 健作の父である原告崇則は、午後四時四五分頃、同校へ駆けつけたが、その時の健作が無意識状態であったので、早く救急車を呼び、専門医のところへ運ぶよう要請した。同校校長後藤久と山本養護教諭は、午後四時五六分頃、近くのタクシーに配車を頼み、午後五時一〇分頃タクシーに乗せて同校校医の赤岩クリニック(福岡市早良区内野)に運びこんだ。

赤岩医師は、健作を簡単に診察し、至急専門医の治療が必要と判断し、救急車を要請して、午後五時四〇分頃、福岡赤十字病院(福岡市南区大楠)へ移送した。

エ 福岡赤十字病院では、早速検査をした結果、右後頭部に異状があると分ったので、午後九時頃から開頭手術を行ったが、健作は、翌一〇日午前七時、脳内出血及びくも膜下出血により死亡した。

二(責任)

1  小学校教師には、学校における児童の教育活動及び生活関係について、法定の監督義務者である親権者に代り、児童の身体の安全について万全を期すべき注意義務が課せられている。

更に、小学校五年生の児童は、自己の行動を理性的に制御する能力が未だ十分ではなく、担任教諭不在の自習時間においては、予想しない事故の発生に繋がる蓋然性が高く、特に、常日頃暴力を振るい同級生をいじめる児童がいる場合には、自習時間の設定においても、これに対する十分な対策を講ずべきである。

にもかかわらず、担任の有馬教諭は、右の義務を怠り、単に漢字プリント等による自習をするように指示したのみで、何らの対策を講ずることなく、児童らを放置した過失により本件事故を発生させたのである。

2  小学校の養護教諭は、児童の養護を掌るもので、児童の救急看護にも従事するもので、この場合、児童の病状を把握し、必要に応じて臨機の措置をとる注意義務がある。従って、救急看護に必要な専門的知識と高度の予見、結果回避処置をとる義務を課せられているが、より緊急を要し高度に専門的な知識と処置を必要とする状況にある場合には、直ちに専門医へ連絡し、その指示に従って応急処置をとり、且つ速やかに専門医へ移送するなどがその義務の内容となっている。

にもかかわらず、山本養護教諭は、右の注意義務を怠り、頭部に暴行を受けた後の頭痛、嘔吐、意識不明という状況から直ちに脳内出血等の事態を判断し、応急処置として安静、保温をしたうえ専門医の診断を仰ぐべきであったのに、これらの措置をとらず、漫然と長時間にわたり健作を放置した過失がある。

その結果、健作の病状についての正確な判断や手術等の結果回避措置が遅れ、死亡するに至らしめたのである。

3  小学校長は、校務を掌るとともに、所属職員を監督する義務が課せられている。従って、担任教諭が不在のため自習時間としなければならない場合には、代りの教師を配置するなどして児童の監督に遺漏のないよう十分な対策を講ずる義務がある。更に、救急看護を要する児童に対しては、先ず、児童の安全を考慮し、その容体によっては直ちに救急車を要請し、専門医のところへ運ぶなどの最善を尽すべく養護教諭を指導監督する義務がある。

にもかかわらず、後藤校長は、右の児童及び教師に対する監督義務を怠り、児童の自主性に任せたため、本件事故を惹起せしめ、事故後の処置についても養護教諭に対する指導監督義務を怠り、健作を長時間放置した状態のままにし、更に、世間体を慮り、その場に居合わせたにもかかわらず、救急車を要請することなく、タクシーで校医のところへ運ぶよう指示したに過ぎないなどの過失により健作の死亡という結果を回避する措置を遅滞せしめたのである。

4  有馬教諭、山本養護教諭及び後藤校長は、福岡市教育委員会により任命され、教育行政に従事する被告の公務員である。これら公務員がその職務を行うにつき前記の過失により健作を死亡するに至らしめたものであるから、被告は、国家賠償法第一条により、原告らの損害を賠償する責任がある。

三(損害)

1  治療費 金六万五九三〇円

ア 福岡赤十字病院

金六万四六三〇円

イ 赤岩クリニック 金一三〇〇円

2  葬儀費 金五三万五九五〇円

株式会社積善社へ支払った分

3  逸失利益

金二五〇六万六二〇四円

健作は、死亡時満一〇歳であったから、満一八才から満六七歳まで就労可能であり、昭和五九年度賃金センサスによる男子労働者の平均賃金(年収金四〇七万六八〇〇円)から生活費五割を控除し、中間利息を控除(ライプニッツ係数12.297)すると、同人の逸失利益は金二五〇六万六二〇四円となる。

4  慰藉料 金一二〇〇万円

春秋に富む満一〇歳の児童が学校内で暴行を受け、適切な事後処置を受けることなく死亡するに至ったことを考慮すべきである。

5  損害の填補

原告らは、日本学校健康会から金六〇〇万円の給付を受けた。

6  弁護士費用 金三〇〇万円

四 原告崇則は健作の父、原告いつよは母である。原告らは、前記1、2を出捐し、健作の前記3、4の損害賠償請求権を各二分の一宛相続した。

五 よって、原告らは、被告に対し、それぞれ損害金一七三三万四〇四二円と弁護士費用を除いた内金一五八三万四〇四二円に対する不法行為の後である昭和六〇年九月一〇日から、弁護士費用金一五〇万円に対するこの裁判確定の日からいずれも支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二  請求の原因に対する被告の認否

一  請求原因一の事実について

1 同1の事実のうち健作が原告ら主張のような暴行を受けたことは争う。その余の事実は認める。

2 同2アの事実のうち原告ら主張の暴行態様であったことは争う。その余の事実は認める。

有馬教諭が公務のため学校を離れた後の午後三時五〇分頃、健作と同級生の原和彦が教室内に置かれていた鶴田の夏休みの工作品に触っていたところ、それを見た鶴田が「扱わんどき」と言ったのに対し、健作らが笑いながら廊下に逃げ出したため、鶴田が追いかけ、しゃがみこんだ健作の背中をタオルで叩いた後、教室内で健作がきつそうに両手を頬に当ててしゃがみ込んだのを後から同人のこめかみあたりを両拳で押さえたのである。

同2イの事実のうち事実経過は認める。その余の事実は争う。

鶴田ら同級生は、健作が頭が痛いと言ったので、午後四時一〇分頃、付き添って保健室へ来た。山本養護教諭は、健作から事情を聞き、ソファに寝かせたが、午後四時四〇分頃健作が嘔吐したので、汚れたシャツを脱がせて、床に寝かせたまま安静措置をとった。

同2ウの事実のうち健作の父である原告崇則が午後四時四五分頃駆けつけたこと、山本養護教諭が健作をタクシーに乗せて校医の赤岩クリニックに運びこんだこと、医師赤岩洋が至急専門医の治療が必要と判断し、救急車を要請して午後五時四〇分頃福岡赤十字病院へ移送したことは認める。その余の事実は争う。

赤岩医師は、血圧測定と瞳孔検査等の検査をした後、専門医の治療が必要と判断したのである。

同2エの事実は認める。

二  同二の事実及び主張のうち2の前段の主張、小学校長が校務を掌るとともに、所属職員を監督する義務があること(同3の主張)、有馬教諭、山本養護教諭及び後藤校長が福岡市教育委員会により任命され、教育行政に従事する被告の公務員であること(同4)は認める。その余の事実及び主張は争う。

1 小学校教師の保護監督義務は、親権者の監督義務のように児童の全生活関係にわたるものではなく、学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係に限られるものであるから、本件のような担任教師不在の自習時間中の事故といった場合、担任教師に監督義務違反があったかどうかについては、担任教師のとった自習内容及び配慮、児童の年齢、知能等の発育状況、事故の内容等諸事情を考慮して判断しなければならない。

有馬教諭は、本件事故当日、午後三時三〇分から早良区図工実施委員会に出張するという公務のため、時制を改訂した自習計画を教頭に提出し、その承認を受け、第五校時(午後二時から二時四五分まで)の算数の平常授業終了後、帰りの会(午後二時四五分から午後三時まで)を行い、午後三時から三時三〇分までを「漢字の練習として、国語の教科書を見ながら、用意したプリント用紙に書きこむよう」という指示をし、午後三時三〇分から午後四時までは「第二校時の学級会活動に十分な時間がとれなかったから、この時間を使って、できなかった部分を少しでも進めるように」と係活動をする旨の指示を行い、自習時間中の態度について注意をするとともに、何かあった場合は五年二組の教諭森岡藤彦に相談することを全児童(二九名)に告げ、更に各班(五乃至六名)から一名の学習係を集めて、指示と注意を確認した。

有馬教諭は、自習状況を確認した後、教頭田中信博と森岡教諭に出張する旨告げるとともに、五年一組の自習状況の監督方を依頼した。

小学校五年生ともなれば、学習態度や集団行動について、相当程度の教育を受けており、既に相当程度の自律能力や判断能力を備えているのであるから、自習授業につき担任の有馬教諭のとった措置には、何らの過失はない。本件事故は、通常発生することが予想もされないような突発事故であるというほかない。

2 健作が同級生の鶴田、中島英光に付き添われて保健室へ来たのは、本件事故当日の午後四時一〇分頃であった。山本養護教諭は、健作から頭が痛いと訴えられ、事情を尋ねたところ、こめかみあたりを両拳で押さえられたとのことであったので、こめかみあたりを見たが、腫れてもいなければ変色もしておらず、顔色も悪くなかったため、前頭部をアイスノンベルトで巻いて冷やし、ソファに寝かせて安静にさせて、脈をとったが異状はなく、呼吸の乱れもなかった。

暫くして、健作は、「頭痛が大分よくなった。」と言った。山本養護教諭は、健作を一人で帰宅させるのは相当でないと判断し、家庭から迎えに来て貰うようメモを書き、鶴田に職員室の田中教頭又は森岡教諭に渡すように依頼した。森岡教諭は、このメモを受け取り、午後四時三五分頃、原告ら方に連絡の電話をした。

山本養護教諭は、午後四時四〇分頃、健作がソファの上で寝たまま吐いたので、医師の診断を受けることが必要であると判断し、インターホンで職員室に連絡をとり、講師中川武文に対し、直ぐにタクシーの手配をするよう依頼した。中川講師は、直ちに清流タクシーに電話連絡をした。山本養護教諭は、健作の上衣やソファの汚れを始末するためタオルを取りに行った時、鶴田の声で振り向くと、健作が床に横たわっていたので、駆け寄って観察したが、脈、呼吸とも異状はなく、顔色も変っていなかったので、吐いて汚れたシャツを脱がせ、そのまま床で楽な姿勢をとらせた。山本養護教諭は、午後四時四五分頃、原告崇則が来たので、これまでの状況を説明し、健作の体にタオルケットを掛けた。

後藤校長は、午後四時五〇分頃、出張から帰校し、直ぐ保健室に来て、健作に声をかけた。健作は、目を少し開けたが、返事をしなかった。健作は床に横たわったままであったが、あまり体を動かさない方がよいと考え、後藤校長、田中教頭、森岡教諭、山本養護教諭、原告崇則の五人で、健作の体を抱え、ソファに寝かせた。

山本養護教諭は、後藤校長と相談のうえ、高宮脳神経外科(福岡市城南区樋井川六丁目)に電話をし、「こめかみを押えられて頭が痛いと言っていた子が吐いたので、今から連れて行ってよいか」と尋ねたが、同外科から「頭を打ったのでなければ、近くの小児科医に診せるように」と断られた。同養護教諭は、傍にいた田中教頭と相談し、校医の赤岩クリニック(福岡市早良区内野)に電話して事情を説明したところ、直ぐに連れて来るように言われ、午後五時五分頃、タクシーで同クリニックに運んだ。赤岩医師の診察を受けた結果、直ぐ専門病院へ移した方がよいとのことで、同医師から高宮脳神経外科へ問い合わせて貰ったが、医師が外出しなければならないと断られ、次に福岡赤十字病院に電話連絡して貰い、受入確認を得たうえで、午後五時四五分頃、救急車で同病院へ移送した。

以上のとおりであったから、山本養護教諭のとった措置には、原告らの主張するような過失はない。

3 後藤校長は、本件事故当日午後一時から出張しており、健作が保健室にいることを知ったのは帰校した午後四時五〇分頃である。

同校長の山本養護教諭に対する指導監督の点については、前記のとおり何ら手落はない。

三  同三5の事実は認める。その余の同三の事実は知らない。

第三  被告の抗弁

原告らは、日本学校健康会から、災害共済給付金として福岡赤十字病院の治療費金八万一四七八円、赤岩クリニックの治療費金一七三二円の各給付を受けた。

第四  抗弁に対する原告らの認否

抗弁事実は認める。

(証拠)〈省略〉

理由

一請求の原因一1の事実のうち健作が原告ら主張のような暴行を受けたことを除くその余の事実、同一2アの事実のうち原告ら主張の暴行態様であったことを除くその余の事実、同一2イの事実のうち事実経過、同一2ウの事実のうち健作の父である原告崇則が午後四時四五分頃駆けつけたこと、山本養護教諭が健作をタクシーに乗せて校医の赤岩クリニックに運びこんだこと、赤岩医師が至急専門医の治療が必要と判断し、救急車を要請して午後五時四〇分頃福岡赤十字病院へ移送したこと、同一2エの事実は、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、右の争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  脇山小学校五年一組担任の有馬教諭は、本件事故当日、午後三時三〇分から野芥小学校で開かれる福岡市早良区図工実施委員会に出席するという公務出張のため、同時刻以後の時制を改訂した自習計画を同校田中教頭に提出し(校長も、午後福岡市教育委員会へ出張のため不在)、その承認を受けて、第五校時(午後二時から二時四五分まで)の算数の平常授業が終了した後、平常の第六校時が午後二時五〇分から三時三五分までで、その後帰りの会が行われるのであるが、当日は帰りの会を午後二時四五分から午後三時まで行い、あとは自習時間として、午後三時から三時三〇分までを「漢字の練習として、国語の教科書を見ながら、用意したプリント用紙に書きこむように。」という指示をし、午後三時三〇分から午後四時までは「第二校時の学級会活動に十分な時間がとれなかったから、この時間を使って、できなかった部分を少しでも進めるように。」と係活動をする旨の指示を行い、自習時間中の態度について、廊下を走ったり暴れたりして友達や他の学級に迷惑をかけないよう、午後四時には必ず下校するよう注意をするとともに、何かあった場合は五年二組の森岡教諭に相談することを全児童(二九名)に告げ、更に各班(五乃至六名)から一名の学習係を集めて、指示と注意を確認した。有馬教諭は、午後三時一五分頃、教室を見て、静かに自習している状況を確認した後、田中教頭と森岡教諭に出張する旨告げるとともに、五年一組の自習状況の監督方を依頼して、午後三時二〇分頃学校を出た。

2  五年二組の森岡教諭は、午後三時二五分頃と三〇分過ぎに五年一組の教室の横を通りかかって、教室を見たが、静かに自習していたので安心し、また、田中教頭は、午後三時四五分頃五年一組の教室を見回った時には、円滑に係活動をしていることを確認した。その後、原と健作が夏休みの工作品のうち鶴田の作品(パチンコ台)に触って遊んでいた。これを見た鶴田が「触るな。」と言ったので、二人は廊下へ逃げ、更に職員室の方へ逃げようとしたが、健作が渡り廊下を渡った曲り角で鶴田に捕まえられ、座ったような恰好になって手掌で耳を覆った。そこを背後から鶴田が乾いたタオルで叩いた。二人は、またも逃げ出したが、鶴田から、「今度逃げたらグリグリする。」と言われた。健作らが教室の前の出入口から入って教師の机の蔭に隠れていたが、そこでは見つかると思い、後の出入口から出ようとしたところへ鶴田が入って来たので、教室の中を走り回って逃げたものの、教卓の横で捕まった。

鶴田は、しゃがみこみ、両手で両耳を覆っていた健作の後から健作の手を両拳で挟んで拳をグリグリと押して両側頭部を拳で圧迫(表現が必ずしも適切でないかもしれないが、この行為を俗にいう「グリグリ」に従う。)し、約三秒間位押し続けてから離した。原に対しても、同じようにグリグリをした。健作がその場にしゃがみこんで泣き出したのを見た鶴田は、いつもの健作の様子と違うのを感じとり、「大丈夫か。」と尋ね、泣きやまないのを見て、保健室へ連れて行こうとした。午後四時少し前であった。健作が立ち上がって、ふらふらと歩き出したので、鶴田と中島が健作の手を曳いて行こうとした。健作が階段のところで、「歩けん。」と言って、疲れたように座りこんだが、鶴田から「もう少しだから歩け。」と言われ、手摺りを伝わって降りかかったものの、中程の踊り場あたりで、「もう歩けん。きつい」と言って、再び壁にもたれるようにして座りこんでしまった。鶴田は、重ねて、もう少しだから歩けと言ったが、健作が座りこんだまま動かないので、鶴田が健作を背負い、中島が健作の尻を支えて、保健室へ連れて行った。午後四時一〇分頃であった。

3  保健室へ来た時の健作は、鶴田の背から降ろされて「頭が痛い。」と言った。山本養護教諭は、健作をソファに寝かせて安静にさせ、気分はどうかと尋ねた。これに対し、健作は、「頭が痛い。」と訴えた。山本養護教諭がどうしてかと事情を尋ねたところ、「こげんされた」と言って、こめかみあたりを両拳で押さえられた身振りをした。誰からされたのかとの問いに対して「鶴田」と答えた。どうしてそうしたのかを鶴田に尋ね、前記の経緯の説明を受けたので、こめかみあたりを見たが、腫れてもいなければ変色もしておらず、顔色も悪くなかったため、前頭部をアイスノンベルトで巻いて冷やし、脈をとったが異状はなく、呼吸の乱れもなかった。健作が「寒い。」と言ったので、扇風機を止めた。健作は、午後四時三五分頃、「大分よくなった。」と言ったものの、山本養護教諭は、健作を一人で帰宅させるのに不安を感じ、家庭から迎えに来て貰うようメモを書き、鶴田に職員室の田中教頭又は森岡教諭に渡すように指示した。森岡教諭は、このメモを受け取り、午後四時三五分頃、原告ら方にその旨の連絡の電話をした。

山本養護教諭は、午後四時四〇分頃、突然、健作がソファの上で寝たまま嘔吐したので、この容態から保健室では手に負えず、医師の診断を受けることが必要であると判断し、急いでインターホンで職員室に連絡をとり、中川講師に対し、直ぐにタクシーの手配をするとともに、田中教頭にも保健室へ来て貰うよう依頼した。中川講師は、直ちに清流タクシー有限会社(福岡市早良区大字重留)に迎えに来るよう電話連絡をした。山本養護教諭は、健作の上衣やソファの汚れを始末するためタオルを取りに行った時、鶴田が「古家君が降りんしゃった。」(又は「落ちんしゃった。」)と声をあげたので振り向くと、健作がソファ(高さ三六センチメートル)から落ちて、床に横たわっていた。駆け寄って観察したが、脈、呼吸とも異状はなく、顔色も変っていなかったので、吐いて汚れたシャツを脱がせ、動かさない方がよいと考えて、そのまま床で楽な姿勢をとらせた。田中教頭が保健室へ来た直後の午後四時四五分頃、原告崇則が来たので、山本養護教諭は、これまでの状況の概略を説明し、健作の体にタオルケットを掛けた。

後藤校長は、午後四時五〇分頃、出張先から帰校したところを、田中教頭に呼ばれ、直ぐに保健室に来て、健作が床に寝ている姿を見て驚き、その頬を軽く叩きながら声をかけた。健作は、目を閉じたまま返事をしなかった。健作は床に横たわったままであったが、山本養護教諭は、あまり体を動かさない方がよいと考えたものの、後藤校長、田中教頭、森岡教諭、原告崇則の五人で、健作の体を抱え、ソファにタオルケットを敷いて寝かせた。

4  山本養護教諭は、田中教頭と相談のうえ、診療先として高宮脳神経外科(福岡市城南区樋井川六丁目)が相当であると考え、電話で、「こめかみを押さえられて頭が痛いと言っていた子が吐いたので、今から連れて行ってよいか。」と尋ねたが、同外科から「頭を打ったのでなければ、近くの小児科医に診せるように。」と断られた。山本養護教諭は、傍にいた田中教頭と相談し、校医の赤岩クリニック(福岡市早良区内野)に電話して事情を説明したところ、直ぐに連れて来るように言われ、午後五時五分頃、タクシーで同クリニックに運んだ。赤岩医師は、午後五時一三分頃、診察した結果、健作が昏睡状態であり、瞳孔が散大し、対光反応もなく、腱反射も左が亢進していた症状から、直ぐ専門病院へ移した方がよいと考え、高宮脳神経外科へ問い合わせたが、医師が外出しなければならないと断られ、次に福岡赤十字病院(福岡市南区大楠)の医師岳野圭明に電話連絡して、受入確認を得たので、午後五時四五分頃、救急車で同病院へ移送した。

5  午後六時一〇分頃、福岡赤十字病院に到着し、同病院で早速検査をした結果、岳野医師が当初外傷によるものと聞いていたので急性硬膜外血腫であろうと直感していたが、臨床的にも除脳硬直があり、意識も半昏睡乃至昏睡状態であって、CTスキャンによる検査結果からも、硬膜下血腫がなく、脳内出血とくも膜下出血が認められたので、右後頭部に異状(右側頭頭頂葉内皮質下巨大脳内出血腫)があると分ったので、午後九時頃から減圧開頭手術を施した。これにより、術後、瞳孔も縮瞳(但し、左右差はあった。)になって若干好転したと思われたものの、健作は、翌一〇日午前七時、脳内出血及びくも膜下出血により死亡した。

同医師の所見では、骨折はなく、硬膜上にも血腫がなく、外傷によると思われる所見がないことから、若年者に多い動静脈奇形の破裂などの血管性病変ではないかとの疑問が残り、CTスキャンでも、そこまでは判明しないので、同医師が解剖による原因解明を望んだが、両親である原告らの同意が得られなかった。

九州大学教授永田武明は、鑑定許可状により、健作の死亡が外力によるか内的原因(病気)によるかを確定するため、遺体を解剖したが、直接死因は脳腫脹であり、その原因は脳内出血であると鑑定した。脳の外表とその直下に強い外力を受けたという外傷の痕跡(出血又は骨折)が全くなく、残在部分が死亡時と変っていたため、血管の硬化・奇形又は腫瘤形成も認められなかった。永田教授は、外力が極めて軽度又は全くない場合の脳内出血は、血管の弱いところ又は奇形があって、血圧の上昇でその血管壁が破綻するというのが多く、このような場合は、外力の直接の影響は考え難く、恐らく可能性としては、動脈瘤のような血管壁異状、走行異状等何らかの先天性血管の病変が基礎に潜在しているところに、偶々通常であれば問題にならないような外因又は内因が作用し、血管の破裂又は循環障害の引き金となって出血という結果を来したことが考えられると説明する。このような場合、解剖をしてみても、血管破裂部が出血(凝血)の中に紛れこむために発見することができず、他に原因が考え難いという。健作の場合も、そうではないかと推定される。前記のグリグリも、外因として考えられるし、他に血圧上昇をもたらす緊張も、内因ではないが、内因の弱い部分を誘発する一つの中間原因にはなりうる。しかし、外部からこれを判断するのは困難である。また、ソファから落ちて頭を打ったとすれば、その衝撃も、外因の可能性はあるけれども、解剖の結果からは、そう断定することはできないという。前記のグリグリが側頭動脈部分を圧迫したのであれば血圧の変動を起すことは理論上説明がつくが、健作の場合、そうであったかどうかは、証明することができないことで、全く無関係でないとしかいいようがない。この結果は、福岡赤十字病院のCT写真、カルテの記載とも一致するということである。

以上のとおり認められる。〈証拠〉中右認定にそぐわない部分がないわけではないが、これら書証は、証人原和彦、同中島英光の各証言、原告崇則本人尋問の結果によれば、同原告が健作の同級生に対してテープレコーダー持参のうえ事情を尋ね、それを原稿に纏めて、その親権者らが清書し本人と親権者が署名したことが窺われるので、前記認定と対比するとき、これをそのまま採用することはできない。

二以上の認定事実に基づき検討する。

健作の脳内出血による脳腫脹を直接の原因とする死亡が医学的に外力による直接の影響と断定しえない以上、いわゆるグリグリといわれる暴行を原因とすることはできない。しかし、脳内出血を惹き起こす原因として何らかの外因又は内因によるとしかいいえないとしても、前示のように健作の脳内出血がいわゆるグリグリを契機として発症したとも見られるので、これが何らかの作用を及ぼしたのではないか、そうでなくてもソファから落下したときに頭部に衝撃を与えたのではないか、更には恐怖感による緊張が血圧上昇の原因になったのではないかとの様々な推測をすることができ、これらを外因とする可能性を全く否定するわけにはいかない。しかし、これらは単に推測しうるとか、可能性があるとかいう程度に過ぎず、健作の死亡との間の相当因果関係を認定することができる程度のものとまで断ずることは極めて困難である。

原告らの主張は、健作の死亡に至る経緯の中で学校側の対応を問題にしているので、右の推測と可能性を前提に、前記認定の一連の経過の中に果して学校側に何らかの手落ちと目すべきものがあったかどうかについて検討する。

小学校の校長を始め担任教諭ら職員が学校教育の場において児童の生命・身体等の安全について万全を期すべき義務があることはいうまでもない。この義務は、学校教育法上又は在学関係という児童・生徒と学校側との特殊な関係上当然に生ずるものであるが、それが学校教育活動の特質に由来する義務であることから、その義務の範囲も、学校における教育活動及びこれと密接に関連する学校生活関係に限定されるものというべきである。特に教育活動上、外在的危険というべき生徒間事故において校長らの具体的な安全保持義務が生ずるのは、当該事故の発生した時間・場所・加害者と被害者の年齢又は学年・性格・能力・交友関係・学校側の指導体制・教師の置かれた教育活動状況等の諸般の事情すべてを考慮して、事故発生の危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情がある場合に限られるというべきである。

1 原告両名の各供述中、自習時間を設けたこと又は自習時間中の監護を問題にする部分がある。自習時間について、小学校五年生ともなれば、学習態度や集団行動について、相当程度の教育を受けており、既に相当程度の自律能力や判断能力を備えているのであるから、前記認定のように、自習授業につき担任の有馬教諭ら学校側のとった措置は、相当のものというべく、この点において過失ありということはできない。本件事故は、通常発生することが予想もされないような不運な事情の重なり合った結果であるというほかない。

2 原告両名本人の各供述中には、健作の死亡がいじめの結果であり、それを放置した学校側の対応を問題にする部分がある。いわゆるいじめをどう定義するかにもよるが、前顕証拠によって認められるように、健作が神経質ではあるが、真面目で、おとなしい努力家であることが認められるものの、平生から鶴田と仲違いをしているというような事情もなく、前記認定のグリグリといわれる行為が悪ふざけにしては度を越したものであるけれども、長期にわたる陰湿な形でのいじめの一つであったとは認め難い。

3 また、原告両名本人の各供述中には、学校側が健作の症状の重篤さを理解していなかったため、ソファに寝かせた時も落下防止の措置をとらず、落下しても裸のまま床に寝かせ、原告崇則から促されて漸く病院へ行くことにしたものの、救急車を呼ばないばかりか、教師が自家用車を持っていたのにこれを使用せず、タクシーを呼んだこと、学校からは福岡大学付属病院が近いうえ専門医が揃っているのに、先ず校医のところへ運び、遠い福岡赤十字病院へ転送されたため、早期治療に必要とされる貴重な時間を浪費したことなどを挙げて、もっと早く適切に対応しておれば手遅れにならずに済んだのではないか、保健室を始めとする学校側の処置がまずかったのではないかという趣旨の部分がある。確かに、結果が判明した後から本件事故の経緯を振り返ってみるとき、特に愛児を失った両親の立場から見れば、そういう思いにかられることは、心情として十分理解することができるけれども、健作の死亡という結果が前記認定のグリグリが一つの引き金になったとしても、これが直接の原因であると断定しえないことは前記認定のとおりである以上、原告らにとってまことに不運な事情が重なって発生したというほかなく、前記認定の経緯から見れば、健作が保健室へ来た時点では、未だ事が重大かどうかを判断しうる状況ではなかったと見るのが相当であり、まして、結果発生を予見しうる状況ではなかったといわざるをえない。そして、健作が嘔吐した時点で始めてそれに気付き、その後前記認定のような経過を辿ったことに特段非難すべき点は見当らない。証人岳野圭明、同永田武明の各証言によっても、脳内出血・くも膜下出血の症状は、血圧・脈搏・呼吸が一般的な目安であり、頭が痛くなったり、嘔吐が起こることが多いとはいうものの、若年者の場合、意外に他の軽い原因で嘔吐することもあること、通常は事前に血管異状を発見することが困難であること、発症から治療までの必要な時間の長短も一概にいえず、早く治療しても影響がなかったかもしれないこと、保健室のとった処置が相当であったことが認められる位である。

三してみれば、原告らの本訴請求は、被告の公務員の過失を認めることができない以上、爾余の点について判断するまでもなく、理由がないことに帰するので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官富田郁郎)

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